音楽とスポーツのクロスオーバー、ジャンルレス、などと盛んに言われ続けているこの時代に、長い歴史を持つ湘南のビーチカルチャーが世代交代を繰り返し生まれたTAEM "LINE" は1995年に武藤秀行(元NO END WHY), 林正久(プロスノーボーダー) を中心に結成され、SURF,SKATE, SNOW, SOUND をLIFESTYLEとしてクロスオーバーを実現している。また、その中から生まれた "NO END WHY" (2002年解散)はLINE の SOUNDコンセプターとして1996年から活動を始め、1999年2月 1st Full Album "ROUTINE" をインディーレーベル SKY RECORDS からリリースし3万枚のセールスを記録する。同年5月 GUTTER MOUTH(U.S.A) のJAPAN TOURをフルサポートし成功を収め、99年 MUSICシーンから日本では新しいタイプのメロディックコアBANDと注目され、2000年2月には、1st Maxi Single "WANTED" を自主レーベル "SOUND LINE RECORDS" を立ち上げ、SKY RECORDSよりリリース、1万5千枚のセールスを記録している。2000年3月には、カリフォルニア サンディエゴのLIFESTYLE BRAND "S R H" の来日により、KOTTON MOUTH KINGS(U.S.A)、SPRUNG MONKEY(U.S.A)、NO END WHYのTOURを行う。2000年4月、約1ヶ月にわたり NO END WHY単独の "WANTED TOUR 2000"を仙台、前橋、水戸、熊谷、東京、横浜、千葉、大阪、京都、神戸、名古屋、豊橋、広島、北九州、福岡(順不同)、全16ヶ所を回り、TOUR最終日には2回目の LINE PRESENTS のイベント "SHONAN BAYCITY PARTY" を成功させる。 同年5月には、ケリー・スレイター、ロブ・マチャド、ピーター・キングのBAND "SURFERS" のオープニングを勤めるなどカリフォルニアのBRAND, BAND, RIDER たちからも少しずつ支持され始め、同年8月には、元サブライムのメンバーからなるBAND "LONG BEACH DUB ALLSTARS" のJAPAN TOUR の東京、大阪でオープニングを勤める。2000年9月には、GUTTER MOUTH との Split Album "1 8 1" をリリース。サーファー、スケーター、スノーボーダーが海外へチャレンジしていくように、NO END WHY も少しずつ目を向けていた。2001年にはMini Album "PROSTY" をリリース、そして NO END WHY の楽曲とともに、LINEメンバーのライディングを収めた初の LINE PRESENTS VIDEO "FRIENDS AND FAMILY" をリリースし、SNOWでは、いまや FC メンバーとしての顔をもつ "MUGUN" こと林正久、プロとしてスノーボードシーンの前線で活躍中の竹野大介、大平修、浜直哉など、SURFでは、海外のコンテストにも積極的にチャレンジしている原田正規やパイプライン、バックドア、メンタワイ、などで数々の写真を残している相原吾郎など、SKATEではSURF SKATERの "TAQ" こと藤岡タク、山根義昭などプロ、トップアマそれぞれ"LINE" ならではの映像を存分に観ることができる。その頃、NO END WHY のニューベーシストとして新たに HAYA-SUN(FLY-81) が LINE に加わり、そして2002年、四年の歳月を経て2nd Album "ONE PEACE" をリリースする。 その後、LINE の中心的存在であった NO END WHY は解散し、Memberそれぞれが、さらなる活動の場を求めて動き出す。

 TEAM "LINE" それはMember 17人の生き様である。